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ERPをテコに製販物統合組織誕生、外部委託を同時実施

 田辺のロジスティクス変革は、ERP導入をテコに加速した。このシステムの導入には業務改革が必須とされる。川辺のERPは01年に人事系、02年に生産・会計系、03年に販売・物流系を稼働させる構想だった。国内大手メーカーでは三菱ウェルファーマに次ぐ販売・物流系への挑戦だった。投資費用は40億円強といわれる。

 

 田辺はERP導入のなかで、業務改革として日本の製薬業界初の製販一体型のロジスティクスセンターを実現させた。それが日本の製薬業界に定着しないのは、生産部門と営業部門に厚い壁があるためだ。ロジスティクスセンターは物流部、計画部、購買部から構成され、物流部は物流センターを統轄するほか、受注機能を主管する。製品を市場に供給するオペレーショナルな機能を果たす実行部隊だ。計画部は営業部門の需要予測機能と生産部門の生産計画機能を結今、円滑な製品の供給計画を担う頭脳部隊である。購買部は原材料をけじめとする調達機能と輸出入を扱う国際業務部門からなる。この組織はロジスティクス機能を必要十分に備えたものと評価できる。

 

 初代のロジスティクスセンター長になった中谷所長は、センターの評価を在庫水準、欠品率、生産効率の三指標で判断、在庫は1・5ヵ月が1・3ヵ月になり、安定稼働したのは製販一体化の成果である。

 

 アウトソーシングの実施は06年を予定していたが、中谷所長は着任して2ヵ月でこの大転換を決意した。実施は3年前倒しの03年5月、ERPと同時稼働の案である。理由は03年度から東西両物流センターがラック倉庫などの補修時期にさしかかり、13億円の費用が見込まれることだ。また、ERP導入に伴う物流センター側のコンピュータソフトの改良も必要になり、ラック倉庫のコンピュータダウンによる出荷不能リスクを除きたいこともあった。

 

 この転換はERPの販売・物流系稼働まで10ヵ月を切るタイミングである。全面的アウトソーシングの実施は、通常2~3年かけて準備する。しかも、複数システムの同時稼働はリスクが集中する。急きよ、決済を求めるとともに委託業者のコンペに入った。「10ヵ月で稼働できるか否かも業者の能力のうち」と中谷所長は読んだという。

 

 フノペの結果、商社系3PL業者である伊藤忠を選定した。理由はノンアセット(自社で物流手段を保行しない)業者のため最適物流手段の選択が白由・公平にできること、大手小売の食品流通に深く関与しており、そのノウハウも期待できることだった。

  「無駄多い自前物流、伸縮自在なアウトソーシング」再編にピタリ奏功

 そしてその間、山之内自身が再編の奔流の真っ只中に位置することとなった。その序章は、ゼファーマの誕生である。山之内と藤沢は03年10月、OTC部門の統合を発表、04年10月には新会社が発足した。各々120億円程度の規模の統合だが、OTCは医療用医薬品より単価が安く、10分の1とも20分の1ともいかれる。医療用医薬品換算で1000億円~2000億円規模の物量急増である。自社倉庫では、よほど余裕がないと対応は困難だ。委託先は山之内が委託していた三菱倉庫になり、東日本は三菱倉庫の青海(東京都江東区)に、西日本はすでに稼働している西日本センターに隣接する倉庫に移管された。

 

 本番はアステラスの誕生である。山之内と藤沢本体の統合発表は04年2月、05年4月には新会社が発足した。同規模の両社の統合だから物量は倍増である。委託先は山之内の路線を踏襲する三菱倉庫となり、西日本はすでに稼働している山之内西口本センターに、東口本は05年1月に稼働した山之内東日本センターに収まった。

 

 まさにこの再編に備えたかのような、最適というより間一髪のタイミングでアウトソーシングに移行した。大手メーカー初のアウトソーシングの動機の一つに、大手メーカー初の再編が絡んでいたか否か、真相は不明だ。

 

 再編の奔流には続編がある。アステラスを追うように、三共と第一の統合が05年2月に発表され、05年9月、持株会社として第二五(が発に心した。この時、子会社の第二二共ヘルスケアも発に心したが、06年4月、ゼファーマ第一三共の子会社として買収され、07年4月には第一三共ヘルスケアゼファーマが統合される。医療用医薬品の国内事業の統今も07年4月となる。

 

 第一三共は自社物流を継続する方針の模様だ。三共、第一ともにセンターが新しいことも理由の一つと推測される。具休的には医療用医薬品とOTCを分離、前者を第二後者を三共の物流センターで扱うという流れだが、ゼファーマの統合に伴い、増加した物量が自社物流で収容しきれず、外注にシフトするとみられる。

 

 このメーカー再編・物流再編で、山之内と藤沢の物流体制が不要となった。山之内の物流人員は希望退職など、センター施設は越谷、北九州とも物流ファンドに買い取られ再生した。一方、藤沢のセンター人員の一部と施設はスズケンに移行、05年春にはコラボクリエイトの実戦部隊としてコラボワークスで再生した。三菱倉庫は山之内、ゼファーマ、アステラスと統合に伴う物量増、売上増に恵まれたが、今度はゼファーマ分か受注から2年半で解消となるリスクに直面している。メーカー再編に翻弄される医薬品物流再編だが、アウトソーシングは強力な助っ人だ。

山之内からアステラス、外部委託で再編に先手

 アステラスは物流を完全にアウトソーシングする国内メーカーの最大手だが、同社のアウトソーシングは山之内の路線の踏襲だ。山之内は02年2月、国内メーカーでいち早く物流アウトソーシングを発表、その理由はコストと柔軟性という。この早い決断は、その後の藤沢とのゼフアーマ設立、アステラス発足、第二二共へのゼフアーマ売却と続く再編劇で大きな役割を果たした。

 

  物流シュリンクは物流報奨設定、北海道・九州撤退、アウトソーシング

 

 山之内の物流シュリンク第一弾は物流報奨の設定だった。97年に導入した元梱比率は5年問で85%から90%に上がり、さらに00年から導入した配送先集約では、2年間で500力所だった送品先が300力所に集約された。

 

 物流シュリンクの第一一弾は、北海道、九州の物流センター撤退、そして第三弾がアウトソーシングだが、この二つは並行的に行われた。

 

 山之内のアウトソーシングは、一巡の業務改革の一環として検討された。従来の物流組織は生産サイドの所轄だったが、営業の所轄に変えてローコストの視点で根本的な見直しをした。札幌、福岡の拠点撤退もテーマの一つだったが、やがて中堅メーカーの事例を契機にアウトソーシングも検討課題となった。調査・検討の末、拠点集約とアウトソーシング並行対応の方針が決まり、01年の中期計画に盛り込まれた。

 

 同社の業務改革推進部長を務めた御代川善朗氏によれば「無駄が多い自社物流、仲縮自在のアウトソーシング」である。医薬品の出荷量は期初、月初のピーク率が高く、変動が激しい。さらに取り扱い量も業績や新製品の出方により変わるほか、物流報奨の影響、卸の再編、メーカーの拠点集約などにより変化の激しい時代に入った。さらにはメーカーの再編も現実味を帯びた時代である。自社物流でこれらの変化に柔軟に即応するのは、設備面でも要員面でも不可能だ。時代を読んだ見識である。

 

 以後の対応は早かった。02年春には2社のコンペが行われ、同年5月には委託先が内定、03年2月に対外発表された。委託先は、外資系医薬品メーカーで実績を積む三菱倉庫だった。コスト節減の見込みは10億円というが、コンペで重視されたのは物流品質と当時導入を予定していたERPへの対応力という。03年8月には札幌を撤退し東日本に統合、04年・1月には三菱倉庫による西日本センター(大阪市)を開設し大阪分を移管、同年8月には山之内内口本センターを撤収し、三菱倉庫西日本センターに統合した(写真1)。05年1月には三菱倉庫東日本センター(新座市)が稼働、山之内の東日本センターは閉鎖された。対外発表から2年弱の一大アウトソーシング作戦の完了である。

 

  輸液のローコスト化に直通チャネル、グリーンSCM構築も

 武田は通常の高価少量医薬品とともに、その対極にある安価大量という商品特性を持つ輸液・透析液類も清水製薬(当時。静岡市)から仕入、販売していた。これら水物と呼ばれる医薬品は、一梱当たり2000円弱から4000円前後と飲料並みの安い価格で、しかも通常の医薬品を超える物量があった。当然のことではあるが、異なった流通カテゴリーを持ってしかるべきだった。

 

 武田はこのローコスト化にも取り組み、80年頃からその流通チャネルを区分し始めた。清水製薬の工場(静岡県)から武川の物流センターを経由せず、心接卸の物流拠点にトラック単位で送品する仕組みで、東海地区と首都圏で始め、90年代には遠隔中規模卸にも5トンクラスの鉄道コンテナを利用した定期定量輸送システムを稼働させた。

 

 90年代半ばには透析液を病院に直接送品し、空容器を容器メーカーが引き取るリサイクル型物流システムを開発した。動機は卸のMS救済策と、容器回収の円滑化である。当時はバブルの余韻が残り、若手労働力は不足し、卸の若手MSといえども重量のある透析液を、階段を使って搬入する作業に悲鳴を上げた。一方、空容器はリサイクル原料として引っ張りだこの時期もあったが、この頃からリサイクル業者にも敬遠され始め、透析病院は空容器の山に困惑した。

 

 武田は、容器メーカー・製造工場・販売者・卸・病院・物流業者が関係するリサイクルチェーンを構築、商流は変えず、物流のみ一気通貫で生産と消費を直結させた(図5)。ローコストと環境保護を目指すグリーンSCMと評価できる。

 

 同社は「安価大量品の物流コストを削減する、精一杯の工夫」というが、SCMでいう「市場まで二(通貰、最蜆最速で送品)の原則適用の成功例といえよう。なお、透析液はその後、病院で粉末を溶解させる方式が普及し、流通面の改善はさらに進んだ。また04年には、清水製薬は味の素ファルマに統合され、武川流通ネットから離れた。

 

 メーカーと卸のサプライチェーンの役割分担は変化し続けるが、「WTINIWTIN」の関係を強化する努力は今後とも必要だ。なお武山は現在、物流機能のさらなる縮小を検討している。単なるアウトソーシングとは異なるSCM的発想を加えたもののようだが、詳細は発表されていない。

武田、SCM視点で流通改革

 メーカーのロジスティクスーチェーンシステムのモデルとして、武田の取り組みを紹介する。同社は医薬品メーカーでは最も早く物流管理部を創設、物流改革をシステム的に進めた先駆者であり、仕入先や特約店を含めた最適化を一貫して追求してきた。いわば、SCMの概念が登場する前からのSCM志向である。上げてきた成果も大きいが、発想、プロセスにも注目したい。その武田にも、新たな変化がみえ始めた。

 

   医薬品ロジスティクス改革、着眼点は在庫管理

 

 武田に物流管理部が誕生したのは71年で、他業種を含め早い時期だったが、創設時に「物流はシステム化か肝要」とシステム技術者を数人配属させたのが一つの特徴である。物流管理部は事業部門と連携、オンライン受注システム、物流管理会計システムなどの開発や物流センター構築を進めた。しかし、医薬品の場合、卸を含めた在庫管理システムの開発導入が最も流通効率化に寄与するという考え方を持った。医薬品は高価品のため対売上物流費率は低いが、在庫削減効果は大きかった。

 

 また、その改善効果の拡人には仕入れ先や卸も含めたトータルの効率化志向が肝要だ。武山の物流管理部は、医薬品の物流特性に着目し、SCMの視点に立った在庫管理推進を充填ターゲットとした。そして、医薬営業本部との緊密な連携によって物流部門悦案型在庫管理システム導入を可能にした。

 

 まず取り組んだ仕入在庫管理システムでは、ABC分析、標準偏差、シミュレーションなどの手法を使って最適な発注基準を算定、人手を介入させないコンピュータとFAXによる自動仕入を確立した。76年に稼働し、在庫半減、品切れ1桁減のほか、仕入運送費の低減や仕入業務の省力化にも寄与した。引き続き自社品の在庫配分システムを立ち上げ、効果を上げるとともに、医薬特約店への展開を図った。

 

 卸の在庫管理のレベルが向上すると、経営体質が強化され、債権短縮、返品減少のほか、緊急発注防止、バラ受注抑制、受発注業務の省力化・正確化などの実務的な効果を上げる運用が可能となる。メーカーもその運用の仕方で、効果の享受が可能になる。

 

 武田は特約店に対し、在庫管理の導入体制の整備じンステム間発・運用定着という一連の支援メニューを用意、70年代後半から80年代前半にかけ、主要特約店50社余りに普及を図った。この成果がJD-Netより5年早い82年に稼働した武田=特約店=仕入先間の受発注VAN、T-NETに結実する。受発注の完令自動化により、発注側・受注側で各々100人オーダーのオペレーターの省力化ができたという。

 

 90年にスタートした武田の即日出荷、近郊即日着荷という高度物流サービス体制も、この成果の上に成立している。SCMの言葉が日本に上陸する!0年以上前の話だが、まさにSCMのロジスティクス版でおり、卸・メーカー・仕入先というパートナー問に「WTIN-WIN」の関係をもたらしたと評価できる。

物流協力報奨の拡大

 

医薬品は、少量/多品目、効果が商品特性とされる。メーカーでの注件数の90%近くをバラ受注が占める。物量的にはわずか5%にすぎない。一方、バラ受注処理コストは全物流費の半分前後を占めるといっても過言ではない。この理由は、卸側の物流センター体制が弱体で、小規模多拠点が少量多頻度発注するためだ。メーカーの物流センターは、まるで卸のセンター機能を代行しているような有様だった。メーカーにとってコストがかさむバラ受注の低減を訴求し、卸側の物流体制強化を促すものだ。従来なかった透明度の高い報奨である。メーカーが行ってきた卸センター代行業務の縮小・撤廃であろう。

 

 この系統の報奨は人丁メーカーが先行し、00年以降は中堅メーカーにも広かった。この効果は上がり、メーカーのバラ受注比率は下がった。卸側は当初、報奨に無頓着な時期もあった。しかし粗利低下のなか、営業で上げられない利益を什入で稼ぐ姿勢で、仕入物流部門が積極的に目標管理に活用し、また、センター構築の重要な利益源として採算計算に組み込むようになってきた。

 

 メーカー側は物流センター統合にも動いた。札幌や福岡の物流センター機能を引き揚げ、首都圏や阪神圜の物流センターに統合する動きである。外資系メーカーのほとんどは当初から全国1~2セッターで対応している。万有やノバルティスは先行して札幌を撤退、武田と藤沢は00年前後に札幌と福岡を撤退、他の大手中堅メーカーもこれに続いた。

 

 卸の再編大型化も進み、エリア(北海道、九州などの地方)単位の卸物流センター構築も進むなか、メーカーの札幌、福岡物流センターの使命は終わった。流通の主役は卸となる時代に入った。

 

 さらに、アウトソーシングの動きも、遅ればせながら始まった。外資系メーカーは営業倉庫を早くから利用し、物流業者主導型共同物流へも発展した。受託業者は三菱倉庫のほか、日立物流伊藤忠商事などがあり、活発な営業活動を展開している。

 

 医薬品配送を展開する中央運輸(束京)、もりか運送(大阪)、旭運輸(北海道)、博運社(福岡)など地域運送会社も、保管業務を受託する。また、スズケンはメーカー物流を請け負うコラボクリェイト設立に至った。倉庫業者、運送業者、商社に続き、第四の医薬品物流受託業者の誕生である。

 

 国内大手メーカーの外部委託で先鞭を付けたのは山之内(当時)だった。03年に委託構想を発表し、05年1月までに三菱倉庫への委託を順次行った。

 

 田辺は03年、基幹情報システムのERPへの切り替えを機に、伊藤忠商事への委託に踏み切った。

 

 これらのアウトソーシングで問題となるのは、メーカーの多くが設立してきた物流子会社である。物流子会社は、余剰人員の受け皿となって事業を拡大してきたが、現在はエーザイ物流など一部を除き撤退、縮小の方向にある。

 

 メーカーの国内流通投資シュリンク、物流サービスの縮小、アウトソーシングの底に流れるのは、メーカーのコアコッピタンスは世界的新薬間発と海外の販売体制強化という姿勢である。そして、国内流通は卸のコアコンピタンスと位置づけた。卸とメーカーの機能切り分けである。

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メーカー国内流通シュリンクし、主役は卸に

 

 低成長の国内市場で、外資系メーカーと厳しい攻防を繰り広げながら世界市場開拓を進める国内メーカーは、ロジスティクス戦略を変えた。流通効率化は卸のコアコンピタンスで、メーカーは新薬開発と海外進出がコアという。メーカーと卸の機能切り分けである。卸へは物流体制強化とローコスト化を促し、メーカーの物流体制はシュリンクさせ始めた。

 

  メーカーの流通近代化は70年代

 

 医薬品メーカーが物流の近代化に取り組みだしたのは70年代たった。流通という概念が商流と物流という概念に分離し、米国から日本に導入されたのは64年だから、それから間もなくだ。

 

 近代化は、自立した物流管理組織を作ることで始まった。先頭を切ったのは武田で、71年に営業部門から独立して、物流管理部が発足した。以降、大手メーカーは順次、全社的に物流業務を統括する組織を設置、物流の近代化、効率化に取り組んだ。

 

 近代的物流センターの構築が始まり、物流機器や自動ラックの導入、オンライン受注・物流システムの開発、受注締切時間設定などサービスレベルの標準化、在庫管理システムの開発などが行われ、省力化やコスト削減が図られた。

 

 一方、卸は70年前後に米国の物流視察を行うなど、一部の先駆的卸は物流に高い関心を寄せ、流通業界でも最先端の物流センター構築が始まった。スズヒコ (現バイタルネット)の名取物流センターをはじめ、クラヤ(現メデイーパルHD)、三星堂(同)、福神(現アルフレッサHD)などがその例だ。しかし、大半の卸は販促活動に注力し、物流機能をメーカーに依存した。卸はメーカーの販社的な立場で、武田、三共、塩野義などが系列色の強い卸を育成した。

 

 しかし、90年代後半から流れは変わった。メーカーの国内流通への投資はシュリンク、物流報奨が設定された。卸のコアコンピタンスは流通効率化という信号を送り始めたのだ。