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安全性確認試験データの作製者側の問題

 遺伝子操作技術はまだ完成されたものではない。遺伝子操作技術の背景にある、たとえば、理論的な未解明部分の存在を軽視してはならない。研究開発の主体者である私企業の営利的な先行志向性にも問題がある。特許制度による資料、データの囲い込みにも危惧なしとはしない。第三者による検証も比較的に不十分なまま性急に商品化されている。法的、行政的な対応も不完全である。したがって、相当な技術的ミスを犯し得て、結果的に商品に起因する被害が顕在化しうる可能性を完全に否定することができない。以上の根拠から、①のように、遺伝子組み換え食品を育種・品種改良食品と同列視する考え方は正しくないことがわかるだろう。

 次に「もう、数年前から私たちの食卓に出まわっています。」というくだりは、だから問題がない、ということを言いたかったのであろうか。しかし、数年を長いとみるか短いとみるかは人によって異なる。ともかく、このような世界的に注目されている画期的であるが、問題を含む食品が、表示もなしに、もう数年も前から私たちの食卓に出まわっているからこそ、全世界の研究者の間に激しい論争が行われており、あるいは大方の消費者団体や生協などで安全性確認の厳正化や公的表示を行うようにという運動が熱心に行われてきたのではなかったか。

 まず安全性確認試験のデータが、そのことによって利潤を得ようとしている企業によって作製されており、第三者的な研究機関による科学的な検証ができない、あるいは困難なしくみのもとにおかれたまま、一方的に公認されて、製品が市場に大量に出まわっていることに問題がないと考えるのか。食品衛生調査会の審査にあたって、提出されたデータの信憑性を問題にすることができない点をどう見るのか。さらに、現在の遺伝子組み換え食品の安全性確認試験の審査項目、審査基準をこれで十分であるとみなすかどうか。

 たとえば、イギリスでのパズタイ博士の動物投与実験の結果が、ヨーロッパを中心に大きな波紋を呼んでいるというのに、日常的、反復的、長期的に、この食品を摂食する当事者である人の健康に対する影響を問うための慢性毒性試験が行われていないという事実を問題にしないのはなぜなのか。栽培過程での生態系影響を否定できる試験が完全に行われているので
あろうか。今後、多種多様な遺伝子組み換え作物が各地で栽培されるような時点で、生物多様性問題に抵触するような事態はない、という保証はあるのか。

 そもそも、安全性検証の中心的な論理をつくっている実質的同等性という新規な概念には問題がないのか。食品衛生法とは無関係な、ネガティブリスト・システムのもとにあるというべき現行のガイドラインにもとづく取り扱いで問題なしとするのか。そのような現状を正確に認識した場合に、「もしも有害性を示す科学的なデータが得られれば、そのような作物の研究開発は中止されてしまい、販売されることはありません」というような、これまでの開発企業側の言い分と全く同様なことを、客観的な立場にあるべき研究者が現時点で断言してもよいのであろうか。

 好むと好まざるとにかかわらず、この食品を死ねまで食べ続けなければならない消費者の側に立った慎重な発言、見解であるということはできない。その課題について未知、未検討の領域の存在が少しでも認められる以上は、あくまでも慎重を期する、それが研究の本来のあり方ではなかったのか。

 ほとんどの有害化学物質は発売当初から、「打害性を示す科学的データが得られていない」ということで性急に闘発が進められ、商品化されて、たとえばPCBのように、十数年後になって、あのようにIR篤な被嘗や汚染を引き起こしているのである。しかもその実は、企業側は問題になる懸念される科学的データや未検討事項があることを知っていて、あるいは被害の予兆を感じていながら、これらを軽視し、無視していたことがあとになって明らかにされているのである。 20世紀後半の、かずかずの先端企業側の過ちを経験してきた私たちにとって、まるで企業の論理そのままでの言い方には簡単に納得することはできないものを感じる。