医薬翻訳サービス

薬理学、生化学、統計学に精通した翻訳士が対応いたします

有害なことを示すデータは一切ありません。だからこそ表示され、販売されるのです


 遺伝子組み換え技術が開発されてからの年数は、まだ十分であるとはいえない。分子遺伝学的な研究も、なお過渡的な段階にある。この程度の状況で開発を先行して失敗した経験は多々ある。そして、いつの場合でも企業側は「危険、有害であるということを示す科学的なデータはなかった」といい続けてきたのである。 PCBがしかり、フロンがしかり、血液製剤がしかり、悲しいことに私たちは医薬品、農薬、添加物などの分野でも、こうした事例には全く事欠くことがなかった。

 確かに、今まで「目にみえるような」人体被害は見られない、目に見えるような」生態系破壊は見られないかもしれない。しかし、今日までに明らかにされた多数のデータにもとづいて、将来的な事態に関する展望をもつことは可能である。警戒することはできる。心ある科学者は、その「予兆があること」を重視している。彼らは、すぐに危険と断定したり、即時禁止をいうことはしなくても、慎重な対応を要請し、この技術に関する疑惑が解消するまで技術、開発をモラトリアム(一時凍結)とする必要があることを述べているのである。

 現時点において安全性についてのリスクの可能性を打ち消しうるほどの、そして性急に商品化しなければならないほどの有用性や必要性が認められるのか、ということを問題にしているのである。この種の問題では、目にみえる被害が出たときには、もう対策の打ちようがないということすらあるのである。

 私は、安全、安心を基本的な原則に掲げている消費者組織の機関紙に、このようなコラムが掲載されていて、まじめなメンバーがこれを読む、という事態を悲しく思う。

 この筆者は、従来食品の方が遺伝子組み換え食品よりも問題が多い、ということを強調しているが、本当にそうだろうか。私は遺伝子組み換え食品が従来品種と実質的に同等だ、という議論があっても、従来品種よりも安全だとするような見解があることを初めて聞いた。有機農産物、無添加、無農薬野菜など、今日的、消費者が目標としているような食品よりも遺伝子組み換え作物の方が本当に安全だ、というのであろうか。もちろん、従来の食品が完全に無害だなどというつもりはないが、比較的に遺伝子組み換え食品のほうが安全だ、というような筆者の説は、モンサント社などの開発企業を大いに力づけることになるであろう。

 このコラムの趣旨からすれば、遺伝子組み換え食品は従来の品種改良作物よりも安全なものであるから、表示の必要性などはほとんど意味のない、論外のことになるはずである。しかし、筆者は「有害なことを示すデータは一切ありません。だからこそ表示され、販売されるのです」と述べている。

 かつて厚生省、農水省の担当者たちは、安全なものに表示はいらない、などと力説した。しかしこの筆者は、有害なことを示すデータは一切ない、つまり安全だ。だからこそ表示される、と述べている。ここには相当な論理的な混乱があるとしか思えない。それともこの筆者は遺伝子組み換え

 研究者は、概して、今直ちに「危険である」ということをためらう。しかしそれ以上に、今直ちに「安全である」といい切ることには疑問である。過渡的段階にあるという現状認識を持つ限りにおいて、冷静に、客観的に、つぎつぎに明らかにされる科学的な事実に即して、判断し、評価し、討論したうえで、今発言できる言葉を選び出す。私はそのような研究者こそが真に有用性、安全性、必要性にかかわる科学的な進歩に貢献することができるのだと思う。

 そして、そのような研究者であればこそ、このコラムの表題にある「遺伝子組み換え食品は不安」であるとする今日的な消費者の心情を十二分に理解することができるのだと思う。

 最後の、⑥では全くいうことがない。表示されると、消費者は自らの誤解によって、より安全性に乏しい有機栽培などのダイスを高い値段で買わされることになる、とするこのコラムの結びでは、表示する必要などない、という以上に、表示することが実に馬鹿げている、消費者が愚かなのだ、表示しないほうがよいのだ、といわんばかりである。とりわけ、このコラムの結語の部分は悲しい。国や開発側には全く非がないかのような、この技術が完成されたものであるかのような、問題研究報告を一切無祝するような、そして既存の消費者運動を愚弄するような、このコラムの全体的なトーンをいぶかしく思わないではおられない。 このコラムの記述をまともに受け取って、遺伝子組み換え食品に対する問題意識を失ったメンバーが多数派を占めるような消費者の組織活動が生まれないことを祈念する。もしも、そうなってしまった時に、その組織は問違いなく終焉の時を迎えることになるであろうからである。