医薬翻訳サービス

薬理学、生化学、統計学に精通した翻訳士が対応いたします

生命を操る上での基本的な問題

 


 今日の科学は、もとより生命を生み出すことには成功していない。しかし、生命の形質を大幅に変革することができるようになった。

 遺伝子を操作することによって、種の壁を越えた新生物を誕生させて、人の利便のために奉仕させるという目的を追求することが可能になった。宇宙時間的な経過のなかで生物が進化してきた道程を人為的に変更して、自然界では決して生まれなかったであろう、たとえば害虫抵抗性の殺虫剤耐性の遺伝子が組み込まれた新生物を誕生させている。

 新規の遺伝子を人為的に、任意に組み込まれた生物は、もはや生物としての本来性を持だない新規な生命体に変化する。遺伝子工学が、かつて地上には存在しなかった生物を作り出す技術であることは否定しようもない事実である。それは種の壁を越え得たことによって、品種改良や育種の場合とは比べようもないような新規で画期的な技術になった。

 他の生物を食料として「いただいて」生きてきた人としての節度をどこに求めるべきか。激増する人口という現実のために、他の生物を食料として限りなく利用する方向での取り組みをどこまで肯定するべきなのか。遺伝子工学の進歩がそのために徹底的に活用されることになるだろうが、本当にそれでよいのか。ここにも、生命の尊厳や生命倫理の観点から真剣に考えなければならない問題点が数多く見られる。

 この際、地球上のあらゆる生命体には、人にはいまだにうかがい知れない、限りなく未知の、神の摂理規定してもよいような、次のような特性が備わっていることを再確認するべきであろう。これらの生命体の特性を恣意的に抹消し、変更することには慎重でなければならないと思われる。

(1)歴史性
 宇宙時間的な、生命体形成のための、形質の変化の累積を支えてきた時間の長さを評価しなければならない。人には容易にうかがい知れない、その永遠とも思える時間の流れの中で、一朝一夕には成立し得なかった個体形成の歴史を無視することはできない。その生命体が増殖するにしても、消滅するにしても、それは他の生物、環境との調和のなかで長い時間をかけて慎重に精密に行われてきたのである。ある種の生物の遺伝子構造が成立するための歴史的な過程を無視することは冒険であると考えるのは、優れて科学的であるというべきである。

(2)環境適応性
 今日的な存在が可能となるために、あらゆる生物が、生物学的、物理化学的な環境条件にそれなりにみごとに調和し、適応してきたという事実を高く評価しなければならない。

(3)存在価値
 その生物固有の形態や性質には独特の存在価値があり、それらは自然界で何らかの役割を分担することによって存在している、と考えるべきである。その生物の存在理由のすべてを人は正確に知り得ているとはいいかねる。その遺伝子のどこかを切り貼りすることに、何らの問題もないといいきれる根拠は何であろうか。

(4)合目的的性
 ホメオスターシス(恒常性)と呼ばれる、よりよく生存するための合目的的な存在であるための生物固有の精緻なしくみや働きについて、私たちはほとんど知らされていない。恒常性のしくみなどというものの解明は、むしろ今後の課題であるといえるだろう。ある遺伝子の組み換えが、その生物の恒常性に影響を与えないという根拠を、どのようにして提示することができるのか。

(5)主体性
 生物の形質を維持するための生化学的なネットワークを支える生命体としての主体性は驚異的であるとしかいいようがない。人類の近年の文明には、これらの無数の生物の主体性を無視し、消滅させることを前提として築いてきた部分があったことを問題視しなければならない。