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臓器移植:道徳と倫理を優先させる

 蛍の遺伝子を組み込むと、たばこの葉が蛍光を発するようになるという。動物、植物、微生物、ウイルスというような種の区分には、それ自体意味があると考えるべきではないか。その区分を人が任意に変更することは、さまざまな自然科学的、社会科学的な問題をもたらすものと思われる。ベジタリアンの実践はもはや無意味になるであろうし、宗教上の禁食律も次第に消滅していくことになるであろう。

 もちろん、現状程度の初歩的な遺伝子組み換え技術では、種の壁を越えて新生物を作ることができる範囲は極めて狭く、小さいであろうが、クローン技術の進歩に象徴されるように、この分野の研究や技術の進歩が著しく急速であることから、近い将来には、多数の特異な形質を実現しうる特性を担った複数の遺伝子を組み込んだ組み換え体がつくられて、極言すれば、従来の生物区分が事実上不可能になるような事態が発生することも予想される。

 神の創造物として、人為的な形質の変更がありえなかった生物の分類ということが、この20世紀の終末に際して無意味になろうとしているのも、あらためて注目に値する事実であるといえるだろう。

 このような変化がもたらす生物学的な混乱の、生態系、人の安全に対する影響が問題であることはいうまでもないが、あわせて社会科学的な、あるいは宗教的、倫理的な領域でのさまざまな影響について、この際、関係者はあらためて今日的な事態をふまえて、真剣に考慮することが必要になってきているのではないだろうか。

 故なくして以上のような生命体の特性を人が加工し、変更し、それらのありようをみだりに侵害する場合には、同じ自然界の生命体としての調和のなかに位置づけられている人の存在が、何事もなく経過するとは思われない。

(1)倫理、道徳を優先させる

 科学的であれば、安全であれば何をしてもよいというわけではない。科学と倫理は全く別の概念であり、しかも後者は前者に優先する。生命工学、遺伝子工学の場合でも同様である。生命を加工することが無制約に行われてよいわけがない。臓器移植のためには何をしてもよいというわけではないのと同様である。

(2)支配、差別の手段にしてはならない

 科学技術的な優先性を持った企業や個人が遺伝子工学を支配と差別、そして独占の手段として使うことを拒否しなければならない。生物学的兵器をつくるためには、この技術はもっとも卓越している。国際的な規制が必要である。

 遺伝子組み換え諸作物は特許制度によって保護されており、開発過程が秘密のベールに包まれている。第9章に示したように例外的に生命にかかわる利権の私有、設定が認められており、著しく企業に有利なしくみのなかで技術開発が推進されている。 Suicide Seed (自殺種子)のように食糧支配の道具にすることもできる。政治力、経済力、権力を持った強者の利器として、この技術が手近にあることを再確認しなければならない。

(3)過剰な保護には問題がある

 遺伝子工学の産物である遺伝子組み換え作物・食品の開発、生産、消費を摂食する人の生命の保護や環境、生態系の保全を最優先する思想を堅持しなければならないだろう。

 今回、厚生省が安全性審査の法的義務化の方針を示したのは歓迎すべきことではあるが、審査の基準が既存のガイドラインと同程度になるというのなら無意味なことである。遺伝子組み換え作物・食品に対する過剰な保護は消費者の権利の侵害であって道義的に許されることではない。

(4)生態系の調和を撹乱してはならない

 宇宙時間的な経過のなかで、環境との調和のもとで、生態学的な安定性を保ってきた今日の動物、植物、微生物を住み分ける世界がある。このような調和のなかにある生命体を、人の利便性のために、恣意的に、瞬時に、種の仕切りを超越して自由に変更、加工して、既存の秩序を保っている生態系のなかに無制限に放出することには基本的に問題がある、と考えるべきであろう。

 現在から未来へ、という時間の流れのなかで、何が起こるかわからない、という事情を知りながら、なんとかなるだろうなどとする、その甘えは許されない。今日的な生態学的な多様性のもとで、生物が存在していること自体が生命体の尊厳を意味することを忘れてはならないだろう。生命倫理とは生物の生命の意味が尊重されることである。

(5)絶対者の領域を安易に侵犯することは許されない

 科学の目的は未知の領域を解明することにある。したがって、未知の領域があることを謙虚に認めるところから科学は進歩する。原理的に未解明な領域であることを知りながら、その領域内で応用的な既成事実をやたらに、安易につくりだすことには慎重でなければならない。かりに未知の領域を、神秘の、あるいは絶体者の領域と呼ぶならば、この領域に立ち入る場合には非常に慎重でなければならない。安易に、恣意的に未知の扉をこじ開けるようなことをする場合には、その未知からの復讐を、すなわち絶体者の報復を恐れなければならないであろう。これは人類の歴史的な体験であり、教訓であり、真理であるといってもよいだろう。こうした謙虚な考え方を無視するような開発姿勢をとっている企業や研究者の傲慢は、厳しく罰されなければならない。何人にも生命の尊厳を犯すことは許されない。これは科学に優先する人間の倫理の問題である。

 証明されない限り科学的ではない、という思想は、証明されない限り、すなわち実証科学が未適用であるかぎり、冒険してはならない、という意味に理解しなければならない。たとえば、慢性毒性の試験をしていないことを批判された開発企業側が、批判した側に反論できるのは、慢性毒性の試験をした後でなければならない、ということである。もしも、企業が慢性毒性の試験をすることが困難であるというのなら、長期同人が食べ続ける食糧、食品として遺伝子組み換え技術の産物を平然として消費者に提供できるとする理由はいったい何なのか、この点についてあいまいな態度を示すことは道義的に許されることではない、というべきである。

(6)哲学、倫理学そして宗教関係者の注意を喚起する

 臓器移植用のパーツづくりのためのクローンエ学が既成事実化されるかもしれないという昨今の状況下に、生命の尊厳を侵害しかねない生命科学と称する学問と生命工学と称する技術の進歩が急速に行われている。このような前代未聞の事態が表面化しているというのに、生命工学、遺伝子工学についての哲学、倫理学者や宗教関係者の関心が非
常に希薄であるように見受けられるのは、まことに奇異なことである。