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肉や魚の焼け焦げに含まれる「ヘテロサイクリックアミン」

 

 

 フェノール、インドール、二次胆汁酸は大腸ガンのプロモーターにはなっても、遺伝子に傷をつけるイニシエーションの作用はありません。ですから、もし別のイニシエーターが作用しなければ、細胞のガン化は起こらないはずです。

 ところが、私たちがふだん口にしている食べ物の中にもイニシエーターは存在します。たとえば肉や魚の焼け焦げに含まれる「ヘテロサイクリックアミン」という物質は強力なイニシエーターであることが知られているのです。

 話が少々余談めきますが、ヘテロサイクリックアミンの発見には次のようなエピソードが伝えられています。国立がんセンター名誉総長の杉村隆博士がいまから20年ほど前にタバコのタールの変異原性を調べていたときのこと、ある晩、台所で奥さんが焼いていた夕食のサンマからもうもうと立ちこめる煙を見て、ふと、タバコの煙が体に悪いのなら魚の煙だっていいはずはないと、思いついたというのです。

 変異原性とは、遺伝子に突然変異を起こす性質のことで、その活性が強ければ、発ガン・イニシエーターの疑いが持たれます。さっそく、研究室で魚の干物を焼いてフィルターで煙の粒子を集めて調べたところ、はたせるかな、強い変異原性がみつかりました。そして煙は魚の黒焦げが粒子になったものなので、私たちがふだん何の気なしに口にしている魚の焼け焦げにも変異原性があるはずだと推論し、分析を繰り返した結果、タンパク質の材料であるアミノ酸を加熱したときにできるいくつかの発ガン物質の分離に成功したのです。

 トリプトファンというアミノ酸を焦がすと生じる物質はTrp-PI(トリプPI)、Trp-P2(トリプP2)、またグルタミン酸というアミノ酸を焦がすと生じる物質はGlu‐PI(グルPI)、Glu‐P2(グルP2)などと名づけられ、ヘテロサイクリックアミンはこれら一群の化学物質の総称です。

 ヘテロサイクリックアミンを大量にエサにまぜてマウスに食べさせると、主に肝臓ガン、一部に大腸ガンができることが知られ、また、塊にしてマウスの膀胱に埋め込んでおくと、膀胱ガンができることも確認されています。

 焼き魚ならではの風味は焼け焦げの香ばしさにこそあるのですから、「焼け焦げに発ガン物質がかぶれている」というニュースは、魚好きの日本人に大きなショックを与えました。ところが、その後十数年たって、こんどは「焼け焦げに発ガン性はない」とのニュースが流れ、あっけにとられたかたも多いのではないかと思います。

 焼け焦げを分析して得た純粋な化学物質(ヘテロサイクリックアミン)をマウスに与えると、たしかにガンができます。ところが、焼け焦げそのものをマウスに与える実験をその後いくら繰り返しても、ガンはできないことがわかったのです。

 そうすると、焼け焦げに含まれる化学物質には発ガン性があるが、焼け焦げそのものには発ガン性はないことになります。これはどういうことかといいますと、ヘテロサイクリックアミンはイニシエーターとしての活性は強いが、プロモーターとしての活性は弱いためであると考えられています。強力なイニシエーターは同時にプロモーターとしても作用することが多いのですが、ヘテロサイクリックアミンは後者の活性が弱いため、発ガン性はさほど強くありません。したがって、肉や魚の焼け焦げそのものでガンができる心配はないといえます。

 ただし、賢明なる読者はもうお気づきでしょうが、焼け焦げそのものに発ガン性がないからといって、油断はできません。焦げた部分ばかり好んで食べる人はいないでしょうが、朝はベーコンエッグ、昼は焼き肉定食、夜は焼き鳥屋で一杯というような食生活を送っている人は、微量ながらもヘテロサイクリックアミンを毎日とり込むことになります。毎日肉を食べ続ければ、腸内でできるフェノールやインドール、二次胆汁酸がふえます。ヘテロサイクリックアミンはイニシエーターであり、フェノール、インドール、二次胆汁酸はプロモーターです。