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副詞:情態副詞、程度副詞、陳述副詞、副詞による予告

日本語の副詞は、山田孝雄の本によると、学校文法の接続詞・感動詞をも含めてい情態副詞 たが、そのほかのものは〈情態副詞×程度副詞×陳述副詞〉に三分類していた。この考えは戦前は最も標準的なものとして行われていたが、戦後の学校文法では情態副詞のうち、

 「静かに」「元気に」の類いは、形容動詞の連用形として早く分離された。ここでは、ナ型の形容詞である。また、残りの情態副詞のうち「はっきり」「きらきら」「ぱっと」「泰然と」の類いについてはすべて、戦前、松下大三郎が「静か」「元気」などと同種と考える説を出していたが、戦後、川端善明や竹内美智子によって、ますますその説が強められてきた。
たしかに、

 1 山路にすみれがつつましく咲いていた

 2 山路にすみれがひっそりと咲いていた

で、1と2が激しくちがう性質をもっているとは思われない。これは、杉山栄一の、連用形だけしかない用言(ここの分類では、形容詞のうちに入れられる。事実、「ひっそりと」は前に修飾語が加えられることから見ても、形容詞と同じで、副詞らしくない。また、

  幸いに人に出逢って道を教えてもらった

  あの人は不思議にも生き返った

の類いは、湯沢幸吉郎の『国語法精説』以来、文全体にかかる別種のものと注意され、「約束の副詞」と呼ばれていたが、三上章は、「批評の副詞」と言いかえ、その中に「評価」と「注釈」の二種類を立てた。「幸いに」「確かに」「あいにく」「高い」などは評価であり、「無論」

 「すなわち」「たとえば」などは注釈だという。

 こうなっては、情態副詞は壊滅だ。

 

 程度副詞

  程度の副詞は、名詞をも修飾する点て、異色がある。が、かりに連体詞を副詞にとりこめる立場から行けば問題にならない。程度の副詞はその前に他の副詞をそえることもないから、まず典型的な副詞である。北原保雄はこの中に、

  あまり…でない  大して……できない

のような呼応のあるものも入れている。

 

 陳述副詞

 次に、陳述の副詞であるが、その前に、南不二男の『現代日本語の構造』にある「句」と「節」という二分類を紹介しておきたい。

 南は、一連の語のつながりの中に、二つのものを区別した。一つは句で、これは名詞を修飾する一連の語句の一部になりうるもので、次のようなものが属する。

  鳥がとぶ  頭がいたい  学校から帰る  噴水もある  すこし食べる  決してうそをつかない

 もう一つは節で、名詞を修飾する語句には入らないもので、次のようなものが属する。

  鳥は飛ぶ  おれは頭が痛い  せめてもう一杯飲みたい  むろん出席する  けれども手紙を出しておく  だから代りにおれが行く  やあ、むこうからバスが来る  お茶を飮もう  早く行け  そんなことするな  おれが行くぞ  君が行くか

 副詞の中には、剛旬に入るもの、閙旬に入らず、節に入るものがあり、程度の副詞、評価の副詞は全部剛に入るが、いわゆる陳述の副詞は剛閇に分かれる。

 1 句の中に入るものIもし、たとい

 2 句の中には入らず節の中に入るもの(おそらく、多分、まさか、どうぞ、さぞ)

 1は、動詞のところで述べた客観表現に属し、2は同じ主観表現に属する言葉である。2の方が陳述の副詞らしい副詞で、1の方は叙述の副詞だ。前述の批評の副詞も、評価の副詞は名詞を修飾する句の中におさまるが、注釈の副詞の方はおさまりにくい。

 結局、日本語の副詞は、次のように整理される。

  客観表現に属するもの  1程度の副詞 2評価の副詞 3叙述の副詞 4接続の副詞

  主観表現に属するもの  5陳述の副詞 6注釈の副詞

 ところで戦前の学校では、元日というような日には式典が行われ、礼服を着た校長先生が壇上で「教育勅語」というものを朗読し、生徒一同、頭を下げて拝聴したものだった。が、あの教育勅語に、こういう一節があった。

  爾臣民、父母二孝二、兄弟二友二、夫婦相和シ、朋友相信ジ……

 ちょっと聞いていると、おまえたち臣民は、父母に孝行であり、兄弟は仲よく……とほめられているような印象を受ける。ところが先の方まで聞いていると、

  一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ

とあり、この最後の「ベシ」によって、「父母二孝ナルペシ」「兄弟二友ナルペシ」の意味であることが明らかになる。これは文章として上なるものではない。これを救う方法はないか。

 これは、はじめに、あとにベシという命令の語が来るぞということを予告しておけばよい。すなわち、「須く」という陳述の副詞があるが、これを「爾臣民」のすぐ次において、「爾臣民須ク父母二孝二……」と言っておけば、次々の語句がすべて命令なのだと理解される。このような場合、副詞というものが非常に有効であるが、これは日本語の文は最後の語で文全体の基本的な意味が決定されるということによるものである。

 松坂忠則が挙げた例に、

  知事はすべての局のすべての課のすべての業務の進行状態を常に承知していなければならないわけではない。

というのがある。「ならな……」あたりまで読んでくると、知事の仕事はずいぶん大変だなと思う。と、そのあとに、「……いわけではない」と引っくり返って気がぬける。こういうセンテンスが二つ、三つ続けて出てくると、文章を読むのがいやになることは確かである。

 これも、打消しの語句があとで来るぞということをはじめに言っておけばいいので、

  知事といっても、必ずしも

とはじめれば、あとに打消しの句が来ても、相手をがっかりさせることはない。

 以上のような場合、日本語では、副詞は重要な役目をもっていると言ってよい。