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日本語の人称代名詞は、英語や欧州語のそれと違う

      

 日本語の「わたくし」は、その意味は英語のIに相当するが、英語のIは、論理的に使う必要があれば何回使っても支障はなく、人称代名詞の使用頻度は、全体の語彙のうちの十分の一ぐらいであり、中でもIとyouが多く使われるという(水谷信子『日英比較話しことばの文法』)・日本語では、「私か」「私か」と言うと、自分のことを主張しているようで、他人に不快な感じを与える。使わなくてもいい時には、使わずに、前後の文脈でそれと察しさせる方が好もしいとされる。チェンバレンは、日本人は一時間ぐらい談笑をしていても、ほとんど人称代名詞を用いないで、皆、これを省略してしまうと言って驚いた。

 英語では、文の中での代名詞の位置はごく軽い。日本語で言えば、助詞とまではいかないまでも、形式名詞か、補助動詞ぐらいの位置にある。日本語の代名詞は、意味を離れれば、一般の名詞と変わりない。英語のIやyouは、関係代名詞で受けて複文にでもしない限り、それを修飾する言葉を付けることはできないが、日本語では、落語の「粗忽者」のせりふ、

 ここに死んでいる奴はたしかにおれだが、それを担いでいるおれは一体誰だろう。というようなことが言える。川端康成ノーベル賞を受けにストックホルムに招かれた時に、

 「美しい日本の私」という題の講演をした。この標題はヨーロッパ語には訳しにくかったろう。サイデンステッカーの英語では、「美しい日本と私」という苦しい訳になっている。

 日本語の人称代名詞がたくさんあることも、英語などとはちがう。この性格は朝鮮語・ヴェトナム語・タイ語インドネシア語など、東アジアの言語には共通であるが、自分の身分・地位や話の相手との関係によって、ちがった語彙が選ばれるからで、たとえば第一人称代名詞には、

  わたくし、わたし、わし、あたし、ぼく、おれ、わが輩

などいくらでもある。「手前」「自分」のような、もとは自称の代名詞であるものもある。古くは「拙者」「不肖」などもあった。

 それからさらにヨーロッパ人を驚かせるのは、この第一人称代名詞が、相手をさすために使われることもあることである。迷子になっている小さい男の子に、婦人警官が、

  ボク、誰と来だの?

と、たずねているような場合がそれである。語彙が多いので、人によって使う語彙がきまっていることから来るものと思われる。

 それと同時に、電話などで「どなたですか?」と聞かれて、

  あたしよ、あたし

と言う人もある。話しているのは本人にきまっているから、これでは返事にならないはずであるが、声の質でわかってもらえるだろうという期待のほか、その人に対して、「あたし」と自分を呼ぶ人は少ないはずだという自覚も働いていそうだ。

 グリム童話の一つ、「狼と七匹の子山羊」の中に、狼が母山羊のふりをして、家の外から、

  Eure Mutter ist da.(おまえたちのおかあさんだよ)

この点、日本語はどうであろうか。コチトラというのは相手を含めない「わたしたち」の意だと言った人がある。三上章は、「わたくしども」「てまえども」がそれだと論じた(私的通信)。

 ところで、こういう区別があるというとずいぶん精密なと思うが、上には上があるもので、ニュージーランドマオリ語では、

 1 私とほかの人一人のわれわれ(マーウア)
 2 私とあなただけからなるわれわれ(ターウア)
 3 私とあなたがたを含むわれわれ(タートウ)
 4 私と、あなたを除くほかの人だちからなるわれわれ(マートウ)

と四種類の代名詞がある。

 広島の原爆の碑には、

  安らかに眠って下さい/過ちは/繰返しませぬから

とあるが、代名詞をやかましく使い分ける国民だったら、この主語をどうすべきか、もめたことであろう。現にこの碑がたったあと、解釈について議論がおこった。

 考えてみると、weを、第一人称の複数などと呼ぶことが正しくないはずだ。「第一人称の複数」というものがもしあるとすれば、デモ隊の人達が声をそろえて、

  われわれは断乎として政府のやり方に反対する!

と叫んでいる、ああいう時であろう。普通の場合は、「私とそのほかの人たち」であって、それは「私の複数」ではない。つまり、ほんとうの「私の複数」と、そうでない「私とその他の人」とを区別する言語もあってよさそうなものであるが、その例は知らない。

  第二人称代名詞についても、第一人称代名詞について言ったと同じようなことが言える・次の例のように修飾語を加えることも自由で意味の面を除けば一般の名詞と区別がない。

  三時のあなた

  そういうお前は誰だ?

 東アジア諸方言と同様に語彙が多いことも、第一人称代名詞と似ており、

  あなた、きみ、おまえ、あなたさま、きさま、てめえ……

など、話し手の身分・性別、相手との関係で、いろいろのものが使われる。

 もっとも、第二人称代名詞については、敬語表現の簡単なヨーロッパ語にも使い分けがあり、たとえば、ドイツ語でduと言うと、「おまえ」にあたり、「あなた」と言うときはsieという別の言葉を使うというようなことがあり、そのことは次節の敬語の項で述べる。しかし日本語のものははるかに用法が複雑で、こんなことから、

   「君、梅幸というのは何だね」(芥川『手巾』)

   「ねエ、あなた」

のように呼びかけに使われるというのは、英語のyouなどでは起こらないことであろう。

 日本語の第二人称代名詞について注意すべきは、第二人称代名詞を絶対に使わない間柄というものがあることである。親・兄・姉・おじ・おばに対してはそうで、この場合、「お父さま」とか「お兄さん」とか一般の名詞を使う。菊池寛の戯曲『父帰る』では、したい放題のことをし尽してひょっくり帰って来た老いた父をつかまえて、長男の賢一郎が、「あなたは……」「あなたは……」と言っているが、これが実に冷たく響き、大きな効果をあげている。

 困ったこと ところで、現代ではそういう関係以外でも第二人称代名詞が使えなくて不便をしている場合がある。目上の人に対する適当なものがないせいだ。

 もし、相手が学校の教師だったり、医者だったりすればいい。「先生」という名詞を使って「先生が」「先生の」と言えばいい。「大臣」とか「社長」の場合もいい。ところが、相手がその先生の母親だったらどうするか。「あなたさま」という代名詞はちょっと使いにくい。思いきって使うようにした方がいいと思うが、使えないという人が多い。「お母さまは」などでは、はなはだおさまりが悪いと言って、「お宅(さま)」とか「こちら(さま)」とかいう言葉が新しい第二人称代名詞として登場して来ているが、ちょっと物足りない。これは日本人として困ったことである。

 第二人称代名詞が使いにくいのは、日本語の場合、第一に相手を指す代名詞がどんどん格が下がってくることによるが、それ以外に、日本人の頭の中には、西欧人とちがい、代名詞という単語で相手をさすのは失礼に当たるという考えがあるようだ。

 中国人にもこれと同じような考えがあり、昔から、大夫・公子・陛下・足下のような身分や場所を示す語で相手を呼ぶ風が盛んだった。

 第二人称代名詞の複数については、第一人称代名詞の複数について言えたようなことがあるはずであり、そこにいる相手たちだけの「あなたがた」と、そこにいない人を含めての「あなたがた」とあるはずであるが、それをやかましく言う言語はちょっと聞かない。

 日本語は第一人称・第二人称はまだよいが、第三人称には、もともと人称代名詞がなかった。いま第三人称に使っている「彼」というのは、古い遠称指示代名詞であり、「彼女」は、明治になってをりの翻訳語として急に作った速成の単語だった。もっともこういうことは、朝鮮語でも同様ではある。

 英語その他で、男性・女性をhe「 sheと分けるのは、いかにも男女の性の区別のやかましいヨーロッパ語だけのことがある。(ンガリー語は、この区別をもっていないので、これを気にしている学者もあるようだが、これもさっぱりしていていいのではないか。たとえば英語で

 「結婚したければ」と言いたいときにif he or she wants to marryと言うそうである(『言語生活』昭55・10はたひろみ)。めんどうな話である。

 中国語はおもしろい言語で、第三者であるAとBが組打ちでもして、互いにどうしたこうしたという段になると、Aのことを「袮」(おまえ)、Bのことを「我」として話を進めてゆく。話し手以外に「我」を使うのは日本語だけではない。

  「彼」「彼女」はともに日本語ではまだ新しい言葉の感じで、「彼」は小さい子どもをさして言うことはおかしく、「彼女」の方は小さい子どもと同時にあまり年老いた女性にも使いにくい。使うなら、淡谷のり子さんや大屋政子さんのような老いてなお色っぽい女性がふさわしい。そんなことと関連して、「彼女」は「愛人」という意味の名詞として使われる。「彼」には

 「氏」をつけて、そのような意味に用いられる。

 日本では、「彼女」という言葉のない時代は、女性をさして「彼」と言ったことがある。たとえば森鴎外は『雁』の中で、ヒロインお玉をさかんに「彼」「彼」と呼んでいる。

 疑問代名詞には、「だれ」「どなた」がある。こういう代名詞でも、日本語では名詞並みで、

  おまえはあの子のだれなのさ

のように、修飾語を付けることができる。

『日本語』 金田一春彦