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アジア的な尊敬表現


ヨーロッパにはない、アジア的な敬語では、相手に関係するものには敬意を含めた表現を用い、自分に関係する事物は謙遜した言い方をする。

 まず名詞について言うと、日本語では、相手に関する言葉には「お」をつける。相手の名前は「お名前」であり、相手の顔は「お顔」である。。あるいは、相手の子供ならば「お子さま」であり、相手の年齢ならば「お年」と言う。

 が、名詞の敬語表現は日本語ではあまり発展しなかった。日本語以上に発達しだのは中国語である。日本では「お」か「御」さえつければいいことになっていて、相手の苗字を日本人は「ご苗字」と言っているが、中国では「貴姓」と言って相手の苗字を聞く。あるいは、名前を聞く場合には「恷尊名」、年を聞く場合には「恷高齢」、もし相手が女性ならば「恷芳齢」と言う。「貴い」とか「高い」とかいう修飾語を上につけるのである。

 日本語も中国語の影響を受けたから、そのような敬語表現が早くから伝わった。「令兄」、「令弟」、「賢兄」(お兄さんのこと)、「厳父」(相手の父親)、「慈母」(相手の母親)などというのはそれで、相手からきた手紙に対しては「玉簡」とか「朶雲」などと敬意の表現をするが、いかにも中国らしい表現である。

 ジャワ語では、自分の息子・娘は目斗と言うのに対して、尊敬すべき人の子女に対しては召ぼという(石井和子『ジャワ語の基礎』)。「名前」も、自分の名前ならばjenengであるが、尊敬すべき人の名前ならばasmaと言うというように全然ちがった形の単語を使う。これも日本語より発達している。

 中国では、日本と違って謙遜の意味の表現も発達している。たとえば「私の国」という場合には「敵国」、つまり、やぶれた国という。「私の国は日本です」という場合には、「ビイグオーシイーリイベン」と言うわけだ。自分の苗字のときには「賤姓」を使う。こういうのは、日本語にも入ってきて、「愚妻」、「豚児」、「拙稿」(自分の書いた原稿)、「卑見」(自分の意見)などと言う。これはすべて中国の影響で、日本にはこのようなものはあまり発達せず、中国から来たものも文章にしか使わなかった。日本語に「おやじ」とか

 「せがれ」という言葉もあるが、別にこれには「私の」という意味はない。「あそこにいるよそのおやじは」と言えるから、「私の父」という意味ではない。

 中国におけるこのような謙譲表現の発達については、スウェーデンの人で中国語を勉強した力-ルグレンの本におもしろい例か挙がっている。ある人が一張羅のよそ行きを着て知人を訪問した。応接間に通されて主人を待っていたところが、その家の天井に鼠がいた。それが梁の上をチョロチョロと渡ったはずみに、粱の上に油のいっぱい入った壺が置いてあったのをひっくり返してしまった。そのために、油がちょうど下にいたお客さんの一張羅の服にひっかかり、大事な着物は台なしになってしまった。そこへ主人が入ってきた。その時、その客はこうあいさつしたというのである。「私はやぶれた着物を着てあなたの尊い家に来たところが、尊い家 の尊い梁に住んでいる尊いネズミを驚かせ申し(ネズミにも敬意を表わすと見える)、尊い油の人った尊い壺をひっくり返されましたために、私はこのようにみっともない姿で、尊いあなたの前にいることを私は恥じます」(『支那言語学概論』)。現代の中国ではこういう表現はしなく なったようであるが、革命前の中国には、こういった言い方があったと見える。