医薬翻訳サービス

薬理学、生化学、統計学に精通した翻訳士が対応いたします

語感を鍛えて“観”だけで翻訳する

 

 〈敵の太刀を知り、聊かも敵の太刀を見ず。〉

 (敵の太刀の動きに注意を払うが、その動きにとらわれない。)

 

 武蔵の目は鋭い。眼が合えば、敵は縮み上がったという。

 近くを遠くに見る眼は恐ろしくシャープで澄んだものであったに違いない。使われた英語を敵の太刀だと考えれば、英語武芸者は、まず敵の眼の置きどころを知るべきである。

 シャーロック・ホームズは、見るのではなく、偏見を捨てて、観察せよ(observe)と素人の探偵に忠告する。使われた英語の外見に(appearance)に惑わされるな、ということだ。

 武蔵が、「敵の太刀をしり、聊かも敵の太刀を見ずという事、兵法の大事也」と述べる真意も、観にある。

 あるアメリカ映画にこんな場面があった。

 “Are you firing me?”

 “You've fired yourself."

 これを見て翻訳すれば、こうなる。

 「私を解雇にするのですか」

 「あなたは自分白身を解雇してしまっている。」

 これを同時通訳すれば、見に観を加えて、こんな訳になる。

 「クビだとでもおっしゃるのですか。」

 「あなたは、墓穴を掘ったのだ」

 しかし、字幕翻訳のプロならこう訳す。

 「私かクビ?」

 「そんな態度ではね」

 観だけで訳している。この訳を知った時は、さすが観(see)の訳だ、としびれた。知人の戸田奈津子さんの訳であったから、2倍嬉しかった。

 本来、Y ou've fired yourself. が「そんな態度では」と結びつくわけがない。だが、大きな流れではそうなるのだ。「点」で結ばなくても「線」では結びつくのだ。同時通訳
者も、字幕翻訳者も、「線」より上位の「円」で英語を観、聴くのだ。つまり、英語という敵の太刀を知っているが、それにとらわれないからのびのびと訳せるのであろう。

 目の玉を動かずして、両のわきを見ること、と武蔵は教えるが、速読家も、速訳家も、fire yourself という二語だけではなく、直前のAre you firing me? という4つの単語を加え、思考の流れをエネルギー化し、読視野(reading eye span)内に収めたのだ。

 『タイム』や『ニューズウィーク』にしても、1行が約6、7語だから、字幕翻訳者は眼球を左右に動かさず、1行の真中あたりを上から下へとスピーディーに移動させるぐらいの語感が要る。

 語感(feel for language)は、英語に背後|青報が加わったものであるから、よほど観を強く、近くを遠くに見る体験と訓練を積まなければ、身につかない。語感の弱い人は見出しがわからない。英語という太刀を観てしまうから、見出しが速読できないのだ。見出しがかなりのスピードで読めてこそ英語道の有段者といえる。

 とすれば、日本人の英語学習者1:万人に1人しか、国際コミュニケーターになれないということになる。英検1級になる人は受験者のうち、3パーセントだといわれている。それは司法試験に合格するくらいの高い競争率である。しかし、英検2級となると、ふつうに英語をやった人の80パーセントは合格する。医師の国家試験の合格率に近いと考えればいい。

 しかし、プロの英語使い手を初段とすれば、遥かにハードルが高くなる。英検1級の人が100名受験しても、私のlCEE(英語道検定試験)で初段になるのは、2、3名という司法試験並みの倍率になる。真の英語のプロ(武芸者)になろうとすれば、2段を目指すべきだ。ということは、初段のうちの2、3パーセントとなり、実用英語をは
しめた日本人のうち、1T万人に一人ぐらいという確率になる。 1万人のうち100名が佐々木小次郎型の天才英語使いとすれば、そのうちの一人が宮本武蔵型の英語剣聖になる。

 1万人がスタートラインに立ち、実用英語を学ぼうとするが、武蔵や小次郎に憧れながらも、誘惑に負けて、ほとんどの人が目先の誘惑に負け、英語は「虚」になる。

 いつまでたっても、「実」に近づかず、斬れないままだ。

 人は、英語という剣を握ろうと美しき剣を思慕し、剣に振られてしまう。私か英語の達人になれたのも、私の英語が斬れだのではなく、私以外の人の英語が斬れなかったからである。私の英語という剣が斬れた理由は何か。私の実用英語のバイブルである『五輪書』を迷わずそのまま実践したからである。それも迷わずにである。

 敵(外国人)の太刀(英語)を見るな、といえば、「はい」と素直に従えばいいのである。だから私は、どれほど外国人(ネイティヴ)から英語を学ぼうとしたときにも、日本語で彼らに話しかけたのである。英語に自信のない時は、ネイティヴに日本語で話しかけられても、とっさにIcan't speak English. と英語で外国人に返事する、といった愚かな矛盾を犯してしまう。

 しかし少しでも自信が出てくると、外国人に日本語で「どちらまで」と話しかける余裕ができる。返事が日本語であれば、どこまでも日本語で追う。得意になって日本語をしゃべっていた外国人も、途中で日本語の限界に達する時がくる。その時に英語に切り換える。相手に英語という刀を抜かせるには、相手を誘い込む情報力と余裕が要る。ガイジンだから英会話教材になるというのでは、あまりにも太刀(英語)を見すぎている。まず太刀を見ずに人間を見るのだ。英語道とは英語に心を通わせるわけであるから、愛の対象にもなる。だからこそ感情と理性のバランスをとり、その相乗効果を狙うべきだ。まさに二刀流の極意ではないか。英語という太刀を意識せず、人間に水のごとく融け込むことだ。英語を使う相手のふところに飛び込むには、観を強くし、近くを遠くに見ることだ。練習してみよう。