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センテンスの分類:文末の表意語句

〈センテンスの分類〉というと、昔の文法書では、〈平叙文×疑問文×命令文〉〈感動文〉などとあったものだ。終戦までの中学校の文法教科書はたいていそうだった。

 これは、ヨーロッパ語の文法書の分類を―しかも旧式な分類を日本語にそのまま流用したもので、日本語のセンテンスの性格とは無関係のものだった。英語などでは、命令文には〈主語〉が用いられない、とか、疑問文のときは〈主訓〉と〈述語〉との位置が変わる、とかいうきまりがある。しかし、日本語のいわゆる〈主語〉などは、はなはだ影の薄いもので、用いられないことがたくさんある。また、センテンスの構成要素の順序は、あとに述べるとおり非常にがっちりしている。センテンスの種類がちがったぐらいでは、位置がひっくりかえらない。だから、日本語のセンテンスの分類は、全然ちがった立場から行われるべきだった。

 では、日本語のセンテンスの分類は、どうすべきか。松下大三郎以後、多くの学者が研究を重ね、次第に日本語の性格に即したものが出来てきた。が、今のところ一番先頭をいくものは、芳賀綏によるものである。彼によれば、あらゆるセンテンスは、まずこんなふうに分けられる。

 1 述定文―表現される内容についての、話者の気持を表わすもの

  雨が降る。 〈断定〉による統括
  花は美しい。 

  雨が降るかしら。 〈疑い〉
  君は学生か。 

  雨が降るだろうなあ。 〈推量〉十〈感動〉            

  ぜひ会ってみよう。 〈決意〉
  二度と買うまい。

  雨! 〈断定〉+〈感動〉
  雨だ! 

  あらっ! 〈感動〉


2 伝達文-相手への伝達の気持を示すもの

  行け。 〈命令〉

  乾杯! 〈誘い〉

  お嬢さん! 〈呼びかけ〉

  はい。 〈応答〉


 3 述定+伝達文i表現される内容についての話し手の態度と、相手への伝達の気持との両方を示すもの

  雨が降るよ。 〈断定〉+〈告知〉

  雨が降るわよ。 〈断定〉+〈感動〉+〈告知〉

  雨が降るだろうね。 〈推量〉+〈もちかけ〉

  雨? 〈疑い〉+〈もちかけ〉


 ここで注意すべきは、〈呼びかけ〉の文は、〈感動〉の文と似ているがちがうことだ。むこうから、お嬢さんが来るのに気づき、「あっ、お嬢さん!」と叫ぶ。この「お嬢さん!」は、「お嬢さんだ!」と、下に「だ」を補うことができる。一方、呼びかけるときに、「お嬢さんだ!」と言って呼びかける人間はいない。呼びかけの「お嬢さん!・」と、感動の「お嬢さん!」とは、形は同じでも、いっしょにしてはいけない。

 また右の分類の1と3は、表現される内容についての話し手の態度を含む点て、センテンスらしいセンテンスである。ふつうに思い浮かべられるセンテンスの例は、たいていこれに属する。2は、これに対して特別のセンテンスで、おおむね形も短い。

 このセンテンスの分類は、日本語のセンテンスの構成上の特色をよく示している。

 第一に、センテンスの根本的な性質を表わす語は、原則としてセンテンスの最後に来ている。芳賀の分類の、「雨が降るかしら」の「かしら」、「雨が降るだろうなあ」の「だろう」「なあ」などいずれもそれだ。これは、日本語で、「二つの語句をつなぐときに、主になるものがあとに来る」という鉄則があるからで、次節で改めてふれる。

 第二に、第一の特色に関係するが、

  かしら、だろう、なあ、よ、わ、ね……

のような話し手・書き手の主観を表明する語がたくさん用いられることだ。沢田治美は、英語と比較して、日本語では主観を表わす語句が文末に来ることが多いのを著しい特色とした。

  『シナリオと口語表現』の著者・喜多史郎は、日本語の「ね」「よ」「な」「わ」などの類いの意味を表わす語句を〈表意語句〉と名づけ、英語の I say, I think, I see, I mean, I tell you, I am afraid, I am sure, you see, you think, you know…にあたるものと言っている。

 しかし、英語のこれらの語は、日本語の「ね」「よ」「な」「わ」……に比べて、使うことがはるかに少ない。そうして、これらは、語源的にはすべてIとかyouとか、あるいはsayとか
seeとか客観的な意味の語から転来したものである。つまり、日本語の「ね」「な」などが語源が不明で、おそらく感動詞から来たものと推量されることと、いちじるしい対比をなす。

 尾崎紅葉の『金色夜叉』の一部にこういう会話がある。娘はお宮である。

  母「まあ、お聞きよ。それはね……」
  娘「かっかさん、いいわI私いいの」
  母「よかないよ」
  娘「よかなくってもいいわ」
  母「あれ、まあ。何だね」

 これを英語になおしたらどうなるか。A・ロイドは『英訳・金色夜叉』の中でこのへんの会話をこう翻訳している。

“ I don't want to listen to you. …I don't care for anything.”

“ What foolishiness is this ! There is nothing to weep about. I will talk it all over with your father when I go home ….”

 主観的な意味の単語は一つも用いていないことに、注意すべきである。

 なぜ日本語のセンテンスにはこのような表意語句をつけたものが多いか。センテンスの終わりをハッキリさせまいという気持が大きく働いていそうだ。「よかない」「よかなくってもいい」と言うと、いかにも断言しているようで、強く響く。「よ」とか「わ」とかが加わると、それがカモフラージュされる―たとえば、素足で指が一本一本見えると品が悪いから足袋をはく、といったような気持だ。

 

『日本語』 金田一春彦