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プラセボ群にはどのように試験参加のメリットを与えるべきか

 第3相試験で重要なのは、「二重盲検試験」といわれるものだ。新薬と効能が同じ既存薬として比較して有効かどうかを判定する。「病は気から」という言葉があるが、これはその「気」の持ちようによって、病が治るかどうかという試験でもある(この「気」は最近になって脳内ホルモンに左右されると分かってきている)。

 たとえば、これは「カゼによく効くクスリだよ」と医師からもらったとする、正体は、ただのでんぶん水だったのだが、本当にカゼが治ってしまったということだ。これは多くの人が体験しているだろう。プラセボとは偽薬と訳すが、「夢見薬」の方がロマンチックでよい。ただ、プラセボ効果は効能だけでなく、その逆の作用でもあり得る。

 新薬の効能を評価する場合には、このプラセボ効果が入ると、クスリの正確な実力を判定しにくくなる。すでに効果が確定している対照薬を服用しているのか、治験薬を服用しているのかを患者に分からないようにするのと同時に、処方している医師にも分からないように比較試験を行う。二重盲検法の名前はここからきている。この二重盲検法というプラセボ効果を除いて、「有効性あり」と判定されたクスリが新薬の栄光を勝ち取ることができる。

 こう書いてくると、二重盲検法は簡単な試験のようだが、現場ではそうもいかない。

 まず、すでに既存の類似薬かおり、それをプラセボ薬として使用したとしよう(この方が倫理的、類似薬がなければでんぶん水)。その結果、どちらにも同じ効果が出た場合、新薬と類似薬とどちらも効いていて同じなのか、効いていなくて同じなのか、これを統計的にどのように証明しているのか、の問題が残っている。

 さらに医師や病院の中には、「偽薬を使うなどは良心に反する」と、この試験を拒否するところもある。これはこれで理屈は通っているが、「新薬は人類共通の財産である」との認識に立てば、二重盲検法に協力すべきだろう。なお、この二重盲検法の必要性については、約7割の医師が認めている。プラセボでないと、患者の個体差、精神的な変化、病態の変化を除外した科学的な治験データが得られないからである。

 このプラセボ使用の倫理については、長期にわたる論議がいまに続いており、すっきりした結論は得られていない。しかし、擬似薬を使用したにせよ、「被験者のメリット」をどう与えるか、という課題が残されている。

 たとえば国民皆保険制度のないアメリカでは、治験に参加することによって、無料で診療を受けることができる。その募集は製薬会社が新聞に広告料を払って行っている。単純に割り切って、「メリット供与」に絞り込んで施策を打ち出さないと、「臨床試験の空洞化」という現象が、いっそう進んでしまう。あまり外国ばかりで臨床試験を行うと「リスクばかり他国に押しつけて、利益だけ自国で享受している」といわれるかもしれない。

 政府がこの事態にようやく取り組んだのが97年。臨床試験参加者のメリットを中心に参加募集広告の自由化が始まっている。