医薬翻訳サービス

薬理学、生化学、統計学に精通した翻訳士が対応いたします

末期癌在宅ケアのメリットとデメリット

 

 何事にも、やってみて良かったことと悪かったことがある。特に末期癌在宅ケアのように経験の少ないことは、始める前に出来る限り見極めをつけておく必要がある。

 

 第2例Hさんについて、具体的に考えてみたい。<メリット>患者自身の人権patient rights と尊厳が保たれた。 Hさんは2回目の入院で化学療法が効かないことを知るとともに、入院している周囲の患者さんが最後はたくさんのチューブを付けられ酸素テントの中で家族とも隔絶されて死んで行くのを見て、1991年12月始めに自宅へ帰ることを決め、実行された。このときは「家に帰れば少しでも流動食をとり体力がつき、もう一度化学療法が出来るのではないか」と僅かの希望をもっていた。

 

 しかし、ご本人が期待したほど流動食は入らず、死の近いことを知られた。私たち医療従事者は度々往診、訪問し、電話もしてヶアを続けた。多少脱水状態になったので「点滴をしましょうか」と伺うと、「一生懸命飲みますから、もう少しこのままにして置いて下さい」と言われた。

 

 12月30日朝、急にご家族に「今日これから恒例にしている家族写真を撮りに都心の写真館へ行こう」と言われ、ドンドン身支度を始めた。そして驚いている家族を急がせて、電車に乗ってゆき、写真を撮って来られた。亡くなる1ヵ月前のことである。

 

 もし私達に事前に「出掛けでよいか」と聞かれたならば、「止めたほうがよいでしょう」と返事したであろう。しかし、ご本人には30年続けているこの「家族全員の写真」の行事は、生きている証であり、ご家族に残される宝であった。

 

 病院に入院していたならば、写真を撮るための外出は絶対に許可されない。「在宅ケアでこそ」なし得たことである。

 

 1月末(亡くなる2週間前)に、私と一緒にHさんを受け持って診ているT医師が、「ご本人も奥さんも癌だと知っておられるのに、お二人の問で残された命が短いことを知るのを避けて、話し合われないようです。お二人とお付き合いの長い先生からそのことをお話し下さい」と言われた。

 

 私は1時間位かけてゆっくりとお話しした。Hさんは「私は一つやり残した事があるように思います。それはクリアではないのですが、死んだ後どうなるのかということです。私の家内はクリスチャンなのでいろいろな話を聞いています。私はここで洗礼を受けて生涯を閉じて行きたいと思います。」と話された。間もなく病床で洗礼を受けられ、その後10日位して亡くなられた。

 

 この間に、二人の娘、一人の息子とそれぞれ夜に1時間近くゆっくり語り合われ、「お父さんとこんなに心をわってお話ししたことはなかった。生涯忘れることの出来ないことでした」と述懐していた。

 

 亡くなる前日夜遅くに、家族全員集まっていたところで「体を起こしてくれ」と言われ、奥さんから順に一人一人の手を両手でしっかり握って「ありがとう、ありがとう」と言われ、別れを告げた。

 

 このような過程を、入院患者と病院勤務医師との間で展開することは、日本の病院内では不可能である。私自身の経験でもあるが、病院長のような年齢、身分の医師が特定の患者のところで1時間も話し合うことは、周囲の事情から出来ない。また病状が悪化したからといって、必ず個室に入れるとも限らない。大部屋では、真夜中に家族が集まり一人一人とゆっくり別れを告げることは難しい。

 

 “患者の人権と尊厳は、在宅ヶアでこそ保たれる”ということが、最大のメリットである。

 

<デメリット>

 

 「自宅で静かに生涯を閉じたい」と考える患者にとって、デメリットはないと思う。しかし、現実には末期癌の在宅ヶアが日本で余り行われないということは、諸方面にデメリットがあるからである。

 

 1)患者家族にとってのデメリット

 

 周囲の人々に分からない心労が大きいであろう。経済的にも負担が大きい、四六時中の看病で体も心も休まるときがない、などいろいろあると思われる。

 

 身近な親族からは「癌の末期なのに何故入院させないのか」と叱責され、家族の看護を評価もしてもらえない。

 

 ただ、現在まで多くの家族が在宅ヶアを貫かれ、「本当によかった」と述懐しておられるので、苦しみにまさる「宝」(メリット)が与えられていることも事実である。

 

 2)医療者側にとってのデメリット

 

 現状は経済的にマイナスである。この問題点について簡単に述べる。

 

 今後の問題点

 

 現在の日本の医療費は、健康保険診療報酬体系により計算されて医療者に支払われる。

 

 それは「出来高払い点数方式」といって、注射1本すればいくら、X線写真を撮ればいくらというように、「もの中心の支払い」である。癌末期になり、たびたび往診、訪問看護をして、1時間以上も患者宅にいても支払われる額は僅かである。図5に示すように、私たちの場合は訪問看護すればするほど赤字になる。「24時間ヶア」で夜中に待機していても、それらに対する料金はない。ライフケアシステムが10年間この末期癌の在宅ケアを続けることが出来だのは、「健康な会員の経済的・精神的支え」があったからである。

 

 「末期癌在宅ケア」は、医師にとってまた訪問看護婦にとってやり甲斐があると言っでも、経済的にマイナスでは拡かってゆかない。

 

 私は、今の支払方式が悪いので、「患者側と医療者側との信頼関係に対して定額を支払う方式(定額払い)」にすべきであると考える。

 

 ライフケアシステムでの過去の実績の費用計算から、「1人当たり1ヵ月1万円定額払い」が妥当であると提案している。この額が妥当か否かは今後広範囲の人々の検討を要するが、良心的に在宅ヶアをしようと思う人々が実行可能な支払方法と額(仮に「末期癌在宅ヶア料」という)を作り出してゆかねばならない(表)。

 

 厚生省の調査( 1991年4月)によれば、対象人員26,000人中の53%は、もし癌の末期になったら在宅で最期を迎えたい、と答えたそうである。

 

 現在の“受け皿”の状態ではそれらの方々の望みに応えられない。それは、まず今までその“受け皿”を作る準備をしてこなかった私たち医師の怠慢である。しかしこれからは、患者さん、その家族の方、医師、訪問看護婦らが一致団結して、従来の枠を外じ受け皿”のシステムを生み出してゆかねばならない。

 

 その第一は、医師「家族が経済的にやり易い体制を築くことである。